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軌跡 [その6] ~そして現在へ~

その後病院には通わなくてもいいということで、しばらく自分で食事制限をしたりしていたのですが、
だんだん食事量が多くなり、またお酒も飲むようになりだんだんと再発というか、症状が進んでいきました。
それだけでなく、居心地のよかった勤務先がなくなる災難に見舞われました。
移籍という形で勤務先の変更を余儀なくされ(現在は再移籍し、平穏な日々です)、
そこでの人間関係などで自覚できるほどのストレスを感じ続けたことで、
症状の悪化に拍車をかけたのだと思います。
 
糖毒性のスパイラルにはまり、もう抜け出せなくなっているのを自覚し、
これ以上はまずかろうと近くの病院を受診しました。2005年5月中旬のことです。
70kgくらいあった体重も、56kgまで落ちていました(身長172cm)。
たまたまその日は糖尿病専門医が診察していた日で、今から考えればすごくラッキーでした。
とりあえずBS(血糖値)とHbA1cを測ったところ、BS=471・HbA1c=14以上(以上って何?/涙)でした。
(その病院は採血してから10分くらいで結果が出る)
 
主治医にこれまでの経過と、仕事上入院は難しいことを話したところ、
「とりあえずインスリン治療を開始しましょう」ということで生活パターンを話し、
「かなりやばい状態になってるので本当は1日4回射ちしたいけど、これだと難しいな~」ということで
「ノボラピッド 30mix を1日2回射ちましょう」ということになりました。
また、「一応抗GAD抗体(1型かどうかの診断の指標)を調べておきましょう」とのことでした。
 
2週間後受診したところ、抗GAD抗体値が13.9(通常は1以下)あること、
「たぶんあと1~2年でインスリンの自己分泌がなくなるだろう」と告げられ、
2001年に糖尿病の宣告を受けたときよりもショックを受けたのを覚えています。
ほんの少しでも自己分泌があるのとないのとではコントロールにかなりの差ができるので
枯渇を最大限遅らせるために今ある自己分泌を大切にしないと…とのことでした。
またそのために「アクトス」を処方してもらっています。
治療を続けるうちにHbA1cが14以上→13.0→10.4→8.8→7.5→6.9→6.5→6.0と下がっていきました。
体重増加と引き換えに(笑/涙)。
インスリンも、ノボラピッド 30mixのみ
   ↓
食後の高血糖をすばやく下げるためにヒューマログを追加
   ↓
計算が面倒なのでノボリンN+ヒューマログに変更
   ↓
きめ細かくコントロールするためヒューマログをノボラピッド(デミペンで)に変更
   ↓
揚げ物や飲み会のためにペンフィルR(デミペンで)追加
   ↓
作用速度の違いからノボラピッドとヒューマログを併用
   ↓
ノボリンNをランタスに変更予定と、試行錯誤しながらいろいろと変えています。

軌跡 [その5]

ともまるがインスリン離脱したのは、
年が改まり2002年のはじめごろで、HbA1cは6.0でした。
その時の血液検査ですが、血糖値・HbA1cだけでなく、
ついでに肝機能などの一般の健康診断で行うような血液検査も追加して検査したのですが、
ビリルビンの数値が正常値よりかなり高めでした。
それまでかかっていた病院ではこれ以上調べられないとのことで、
某大学病院を紹介してもらい、詳しい検査+糖尿病のほうもそちらで診てもらうことになりました。
 
その大学病院では、(1)ビリルビン高値の診断、(2)糖尿病の治療、
そして(3)時々ぼーっとするというか、「自分が自分でないような感じ」があったので、
神経内科に…というわけで、3つの科を同時進行で受診しました。
 
まず(1)ですが、何回かの血液検査と腹部エコー検査で、癌などのやばい病気ではなく、
「自己免疫性肝炎の疑い」があるとの診断でした。
抗体値がこれ以上高くなったら太い針を肝臓にさして組織を採って調べないとならないが
いまのところは経過観察で様子を見ましょうとのことでした。
 
(2)ですが、経口ブドウ糖負荷試験(甘ったるいジュースを飲んで、30分・1・2・3時間後の血糖値を測る)
を行いました。確か2時間と3時間後に200をちょっと切るくらいだったと思います。
通常より体内からインスリンが出てくるのが遅めだとのこと。
そして同時に血中CPR検査(自分の体内からどれくらいインスリンが分泌されているかを調べる)を
行ったと思うのですが、「普通の人の3倍くらい出てますね」と言われびっくりしました。
それだけインスリン抵抗性(体内でインスリンが効きにくい状態)が大きかったのだと思います。
その後HbA1cを測ったのですが、4.8 まで下がっていましたので、
「一応もう通院はしなくてもだいじょうぶですが、暴飲暴食をするとすぐにまた
悪くなりますから気をつけてくださいね」と言われました。
 
(3)ですが、脳波を取ったり、頭部MRIや、神経伝達速度を調べたりしましたが、
特に異常は認められませんでした。
今から考えると、笑ってしまうような理由(たぶん)なのですが、
その当時は真剣に「なんだろう?」と考えていました。
その後しばらく病院に行くこともなくなり、その症状もおさまったのですが…。
勘のいい人ならわかるかもしれませんね。
 
そう、低血糖症状です(汗)。
 
かなり食事量を抑えていたことと、特に朝刊時空腹で配達していたこともあって、
インスリンを打たなくても低血糖状態になっていたんだと思います。
 
 
自分でオチつけてどうする(笑)。
 
 
 
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軌跡 [その4]

1週間の入院生活を終え、シャバの空気を味わったともまるですが、
退院直後に摂った食事がマック(汗/笑)。
さすがに何を食べたかまでは覚えていませんが、
やたらと(笑)おいしかったことだけはよく覚えています。
 
1回の食事の量が激減しました。とくにごはん。
 
ともまるは無類のごはん好き(汗)で、好きなおかずは「ごはんの進むもの」(笑)。
しかも超早食いで、以前電気工事の仕事をしていたときの親方に、
「職人連中ってみんな飯食うの早いけど、お前ほど早いの見たことない」と言われたことがあるほどです。
多摩地区にお住まいの方ならご存知かもしれませんが、
スタ丼大盛り(ラーメン丼すりきり1杯のごはん)と
ビール中瓶1本・餃子を7分で平らげたことがあります。
(逆にあれをゆっくり食べてたら途中でお腹がいっぱいになって食べられないような気もしますが…。)
治療前は、1日2食だったかわりに朝ごはんは3合、夕飯は丼大盛り2杯ぐらいずつ食べてました。
 
いままでがそんな生活でしたから、小さいお茶碗に軽く1杯のごはんはかなりきつかったです。
食べることによって余計にお腹がすく、そんな感じでした。
空腹感でなかなか寝付けないことも多々ありましたが、水を飲んでしのぐ&気合いでカバーしました。
あのころはかなりがんばったなーと思います。
 
糖尿病治療のもうひとつの柱、運動ですが、仕事が新聞店勤務だということもあり、
配達(1日にトータルで4~5時間)でちょうどいい強度の運動ができるため、
そのほかには特に何もしませんでした。
食事制限がつらかったですから、その上運動もしなきゃというストレスがなかったのは
かなり大きかったと思います。
運動療法でおまんまが食べられる(笑)わけですから。
 
そんな感じでがんばっているうちに、インスリンも6→4→2単位と減っていき、
インスリン治療を始めて2ヶ月位して、ついにインスリン離脱することができました。
体重が治療開始から比べると10kgくらい落ちましたし、HbA1cも6.0まで下がりました。
 
当時の主治医は、
「ともまるさん、本当によくがんばってますね。
HbA1cが13だった人が2ヶ月でインスリン離脱なんて、奇跡ですよ!これは。」
とほめてくださいました。
人間何歳になってもほめられるのはまぁ、うれしいもんです。
 
というわけで、しばらく食事と運動で様子を見ましょうということになりました。
 
 
 
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軌跡 [その3]

ともまるが入院したのは、11月中旬、当時の心境を表すかのような
しとしとと降り続く雨の金曜日だったような気がします。
やるべきことなんて当然あるわけもなく、暇さ加減にうんざりで仕事のありがたみを実感しました。
しょうがないのでお茶ばっかり飲んでました。
それは高血糖だから体が欲していたというのもあるんでしょうが、手持ち無沙汰だったということと、
煙草を吸ってましたから、口寂しいからだったと思います。
食事のときに出るお茶はもちろんのこと、
当時の彼女に2リットルのペットボトルのお茶を毎日2~3本(!)買ってきてもらってました。
汗なんかかくわけないのに。
はっきりと不摂生が原因といえる糖尿病だとわかっていましたから、
発覚してからそれまでと比べるとかなり食事量も減らしたため、
入院時にはかなり血糖も下がってきていました。
薬を使っての数値ですが、確か食前で150くらいにはなっていたはずです(記憶が確かではありませんが)。
今から考えれば入院(インスリン導入)なんて必要なかったのかもしれませんが、
いい勉強になりましたし、短期間でインスリン離脱することもできました。
1週間の入院で、インスリン治療の内容が決定しました。
「1日3回射ちになるかと思ってたけど、体内から自分のインスリンが結構出ているし、
入院前にがんばったからかなり血糖値も落ち着いてきてるので、
1日1回で大丈夫そうですね。これ(イノレットN)を朝食前に6単位射ってください」
と判決(笑)が出ました。
食事指導と、血糖自己測定を教わって退院し、晴れて(?)インスリン生活のスタートとあいなりました。
ちなみに、入院費は1週間だったので5万円(社会保険で2割負担で)でした。
(それにしても測定器が自費[15,000円/入院費とは別]だったのはなぜ?)
 
 
 
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軌跡 [その2]

一瞬にして5歳→大人になった(笑)ともまるですが、当然喜んでいられるわけもなく、
「これからどうなるんだろう」という恐怖心に打ちひしがれながら、抜糸のあと内科に回されました。
 
「とりあえず1日2食はやめてちゃんと3食摂るかわりに、
大体でいいですから1日1800kcalくらいに抑えてください」
「治療法としては1日2回の飲み薬とインスリン注射があります。
飲み薬は膵臓内のβ細胞というところを刺激してもっとインスリンを出させるようにします。
インスリン注射はおわかりの通り外からインスリンを注射で補ってあげるものです。
いまのともまるさんのβ細胞は、いままで高い血糖値をかなりがんばって下げようとしていたため、
疲れてインスリンが出にくくなっている状況です。
血糖値が高くなるとインスリンが体内で効きにくくなるため
さらに血糖値が上がってしまうという悪循環になってここまで悪い状態になってしまいました。
というわけなので飲み薬だと疲れているβ細胞に
さらに鞭打ってがんばらせることになるのであまりお勧めできません。
インスリン注射は最終手段だという考えの人が多いですが、
インスリンを外から補ってあげることでβ細胞を休ませることができ、
インスリンが体内で効きにくくなる悪循環(糖毒性)を断ち切ることができるんです。
β細胞が休息をとって疲れが取れてくればまた元気にインスリンを分泌してくれるようになります。
そうすれば注射をやめることも十分可能ですよ。」
「ただ、注射の場合は注射量を決めるため、食事の指導などで
1週間くらい入院してもらうことになります。どうされますか?」
 
当時の病院の先生(たぶん30代後半/今の主治医とは違います)は、こんなことを言っていたと思います。
 
そこで、
「それなら注射をしたほうがいいんだろうけど、
仕事が仕事なので休みの都合上すぐに入院というわけにもいかないので、
都合がついたら入院するけど、それまではとりあえず飲み薬で…」
と答え、「アマリール」を処方され、飲んでいました。
 
確か休みの都合がついたのは3週間後くらいで、入院してインスリン治療をすることになりました。
 
 
 
[その3へ]

軌跡 [その1] ~プロローグ~

「はぁぁ~っ。」
緊張の面持ちから一転、安堵の表情を浮かべ、重力に導かれるように視線を下に落としていく。
そこに描き出されている放物線を目にしたともまるは、一瞬にして表情が凍りついた。
「えっっ!なんだこれ?」
 
す…すいません(汗)。このままこの調子で書いていこうかとも思いましたが、
文才なんざありませんし、ロマンチックなシチュエーションもドラマチックな展開も皆無(笑)なんで、
淡々と…というか、普通に書いていくことにします。
 
 
そう、ことの始まりは2001年の夏の終わりごろ、お手洗いからです。
 
「こりゃなんぢゃ? 見た目かなりやばげだけど心当たりないしな~?」
ご多分に漏れず立派ぢゃないんで(自爆)恥ずかしかったわけですが、
そうも言ってられないので病院へ。
 
「ん~、包皮炎ですね。皮にばい菌が入っちゃったってことです。
このクリーム塗れば治りますけど、時間掛かりますしね~、
余ってますから、取ってしまったほうが根本的な解決になりますね~。
整形外科のほうに回しますんで、そこで相談してみてください。」
 
と言われ、整形外科へ。
 
「本来は保険は使えないけど、使えるようにしてあげますんでね、取っちゃいましょう!」
ということで日程を決めるためにもう一度通院し、いちお手術なんで血液検査をして帰りました。
 
で、手術当日。
先生が血液検査の結果を見た途端、
「えっっ?この血糖値は何?600でA1cが13.1?一応もう一回測って!」
看護婦さんが測ってましたが、確かその時、食後4時間で250くらいだったと記憶しています。
「手術はしますけど、血糖値のほうが問題なんで、ひと段落したら内科に回しますから
ちゃんと治療してください。あ、それから不摂生はいけませんよ。」
手術が終わり、手術代4,000円払って帰りました。
一瞬にして5歳→大人になったわけですが(笑)、とにかくかなりショックを受けましたorz。
糖尿病患者は感染症に掛かりやすいってのを地で行ってたわけです。
 
 
 
[その2へ]

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